連載中の「世界基準クリエイティブ資産化」の中で、「なぜそこまでAIを使うのか」と聞かれることが増えました。
私はクリエイティブを手放しているわけではありません。
反復の中で身についたもの
33年間、判断を重ねてきました。
状況をつかむ。
違和感に気づく。
制約の中で拡張する。
価値が薄まる方向に流されない。
状況は違っても、本質は変わりませんでした。
その反復が、確実に力になったことも分かっています。
属人性の強さと、消耗
同時に、見えてきたこともあります。
属人的な突破は強い。けれど、消耗する。
本気で向き合うデザインには、身体的な要素があります。
集中力、緊張感、瞬発力。
そして、それを支える精神力。
アスリートのように、その日のコンディションに左右される部分もある。
その身体性や精神性を否定するつもりはありません。
むしろ、それがデザインの強度を生むことも知っています。
ただ、いまは情報が過剰に流れ、
アウトプットが途切れず求められる時代です。
判断の回数は増え、
反応の速度は上がり、
一つひとつに立ち止まる余白は少なくなっている。
その身体性と精神力を前提にしたまま、
短納期や大量処理を求め続けると、どうなるのか。
もしかすると、広告やクリエイティブの現場から
試行錯誤の余白が少しずつ失われていった背景には、
こうした消耗の構造もあったのかもしれません。
毎回ゼロから説明し、毎回守り、毎回合意をつくる。
突破しても、また最初に戻る。
この循環は、個人の体力や気力、
そして精神的な持久力に強く依存しています。
そして、その依存は、持続可能ではありません。
判断を持続可能にするという視点
私は、判断を持続可能にしたいと思うようになりました。
いま、AIは効率化や時短の道具として語られることが多い。
それは偶然ではありません。
情報は過剰になり、
アウトプットは絶えず求められ、
判断の回数は増え続けている。
人間の処理能力を超える速度で、
仕事は流れていく。
そのなかでAIは、
「追いつくための装置」として期待されている。
それも一つの役割だと思います。
けれど、私にとってのAIは少し違います。
速く終わらせるためではなく、
判断の質を落とさないために。
回数を増やすためではなく、
基準を揺らさないために。
判断の質を保ちながら、より多くの試行を重ねられること。
高い基準を、コンディションに左右されず維持できること。
それは結果として、
仕事を「処理」で終わらせないための土台にもなります。
効率のためではなく、
持続のために。
私は、AIをそう使いたいと思っています。
生成ではなく、固定
その問いを重ねるなかで、
AIという道具に向き合うようになりました。
経験で磨いてきた基準を、
構造として残すために。
生成しているように見えて、
私がしているのは基準の固定です。
反復は、円ではありませんでした。
同じ場所を回っているようでいて、
少しずつ高さを変えていた。
螺旋のように。
属人的な突破から、構造化へ。
それは思いつきではありません。
三十年以上、判断を重ねてきた先で、
自然と見えてきた帰結です
螺旋の中で、判断を重ねる
道具への向き合い方
AIは、私の判断を置き換えるものではありません。
反復によって得た力を、
持続可能な形へと整えていくための道具です。
経験を消すのではなく、
そこに構造を重ねる。
瞬間的な突破を繰り返すのではなく、
揺れにくい基準へと変えていく。
ただ使うのではなく、
愛着をもてるところまで磨いていきたい。
私は「想いのないところにデザインはない」と伝えてきました。
だからこそ、この道具にも想いを込めて向き合います。
効率のためではなく、
消耗しないために。
そして何より、
クリエイティブを終わらせないために。
道具にも、想いを込める